古事記と東洋古典の関連性

 

「やまとことば」という話し言葉は昔からある訳ですが、それを書き物に表すための文字が必要になった。ただし、神社などに残されている古い文字は神代文字と言われており、その文字が特別な人たちだけのもので、広く伝えられていない様である。

その頃に、中国から漢字が輸入されて、これをうまく使いこなすための方法をいろいろと考えて、「音読み」「訓読み」「借字(万葉仮名)」「ひらがな、カタカナ」が作られ、それを組み合わせて、文字として活用されるようになった。

漢字翻訳、使用マニュアルとして、まず、漢字の持つ意味を大事にしつつ、やまとことばの意味するところとすり合わせ、綿密な言語体系を確立したということである。

結果として、日本人は基本的に漢文は、少し訓練すれば読めるし、意味も理解できる筈である。

ちょうど、三蔵法師がインドから仏教経典を持ち帰り、漢字に翻訳した作業と同じことが日本でも行われたと推測される。

仏教の経典は、サンスクリット語で書かれているが、三蔵法師たちは、以下の方法で、それを中国語に訳した。結果として、持ち帰った原文のお経はすべて破棄された。

  • 発音が、荘重味があるかどうかを調べる
  • 意味の上において、間違いがないかを調べる
  • お経としてのリズムは失われないように 文章上この言葉を入れたほうが良いのでは、ということで、文章のつなぎ言葉を入れる。

 

古事記は、借字で書かれており、字がどういう発音するかが判れば、多少のニュアンスの違いはあって、内容は容易に理解できようになる。

 

古事記の最初の方に、淤能碁呂島(おのごろじま)が作られるシーンがある。

 

「故(かれ)、ニ柱の神、天の浮橋(うきはし)に立ちて、その沼矛(ぬまほこ)を指し下して畫(か)きたまへば、鹽(しお)こをろこをろに畫(か)き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末(さき)より垂(したたり)り落つる鹽、累(かさ)なり積(つ)もりて島と成りき。これ淤能碁呂島(おのごろじま)なり。」

(現代語訳)

「伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を畫き混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった」

伊弉諾、伊邪那美が地上にて、いろんな神を産み、大地を作り始めるための地上の土台を築いたということですが、これを淤能碁呂島と言います。

淤能碁呂島は、「自ずところころ回る島」ということですから、地球のことです。

地球は、無形の軸を中心に自転しています。無形の軸とは、人間的に言うと人生観、社会観、自分の使命感などのことです。この無形の価値基準に自らの言動を律していく、自らの行動に自覚的に枠を嵌めて動くこと。「我、何を成すべきか」という自覚的行為が自転です。

では、公転とはなにか?社会秩序、道徳であり、自らの天命知ったうえで行うべき行動のことです。人は「秩序と自覚ある行為」を行うことを自ら由とする考え方を自転と公転で揶揄しています。深いですね。

「大学」の勉強会で気づいたことですが、「仁義礼智」は、自らが持って生まれた四徳であり、それに考え方と行動とが一致すると「信」という徳が身につく、というとことまでは、いわゆる自転の意味しているところなのだけれどけれど、じゃ、どうやって天命を知って、躍動するのかというところに行くには、やはり「宇宙の理とは?」「生命とは?」「人生とは?」「どこから来て、どこへ向かうのか」という疑問にも応える必要が出てきて、それらを貫く統一的な思想が必要になってきたので、多少の宗教的な思想も必要になってきたということではないかと思う。

古事記も東洋古典も二つの意味がある。

  • 神(儒教)が人の歩むべき道を教えること
  • 民族・国家・人類は、如何にあるべきか、という大道を示すこと

 

個々の道であると共に国の道であり、人の世の掟としてこそ、真に救済の大道であり、神道(儒教)の神道(儒教)たる所以であると言える。

古事記も儒教(朱子学)もアプローチは異なるけれど、行きつくところは同じかもしれないと思って、もう少し先の展開を楽しみにしてみたいと思います。

 

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