あおり運転と東洋思想

車社会になって、車の事故は、己の判断ミスだけではなく、相手の行為も相まって、事故が起こるけれど、その時に「お前が悪い、だから弁償しろ!」と言うことが正しいという風潮に、どうしても違和感を覚えます。
最近は、「あおり運転禁止法」が道路交通法に加わって、一方的に「あおり運転」をした方が悪いように言われます。これも違和感を覚えます。だって、交通の邪魔をして、独りよがりの運転をして迷惑をかけているのは、あおられるような運転をしている方なのではないかとも思われます。
2極対立的に考えるとどちらか一方が悪いという判決になります。これは、明らかに欧米型の文化であり、「相互独立的自己観」と「原理重視の道徳観」であります。
だから、自分の正しさを主張することが正しい行為になります。
一方で、日本では多様な、さまざまな他者の観点を内面化し、その多様な他者の観点から自分の行いを自己批判的に反省し、他者とよりよき関係を保とうとする「相互協調的自己観」「状況重視の道徳観」が文化の基本となっているように思われます。
よって、日本人は他者の視点から自分の行動を反省することを通じて他者の多様な観点を内面化し、反省を繰り返すという考え方になります。
この立場に立てば、交通事故でも「あおり運転」でもどちらか一方が悪者になる訳ではなく、百に一つでも悪いところがあれば反省し、「お互い様」という妥協点を探り、最後には、お互いに「ごめんなさい」と言って別れます。これが日本文化の良いところではないでしょうか。
東洋古典でいうところの「仁義礼智信」に武士道の「道理」と「情理」を積み上げれば、お互いに考え方が異なっても、一つのことを成す(和)ことが出来るような気がします。

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