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「やまとことば」の意味すること(2)

「やまとことば」についての事例は、「ママに伝えたいにっぽんのこと」という音声で山口ちとせさんがお話しされているので、是非、お聴きください。

人は言葉で考えるので、哲学、和文化の特徴を育んでいると解釈されます。いわゆる、西洋と東洋の哲学・文化の違いとして現れます。

西洋と東洋の違いについて、一言で表すと、「西洋では、理解する文化」であり、「東洋では、感じる文化」と言われている。

西洋文明では、ものごとを一度はバラバラにして、個々の存在を明確にした(分解・分析)上で、最後にそれを組み合わせて全体を理解するという近代科学のアプ・ローチなのであるのに対し、日本文化は、常に全体をとらえる、収縮も拡大もプラスもマイナスも矛盾するものを合わせて一つのものとして捉えるところです。また、言い換えれば、己とそれ以外のもの(時空を越えた)の相互に影響し合って(因果)、初めて己の存在の意味が分るという考え方であると言われている。

その違いは、ギリシャ原子論の「分割不可能な粒子(アトム)」で考えても、原子核を素粒子のレベルで理解するには多少の発想の転換が必要でした。原子核の本質に迫るには、日本人の核物理学者である、湯川秀樹、朝永振一郎の「場の量子論」を待たねばならなかったようです。

「不確定性理論」を考え出したハイデルベルグは、「物理学と哲学」という本の中で「第二次世界大戦以降における物理学への日本の大きな貢献は、おそらく、極東の伝統的哲学思想と量子理論の哲学的本質との間に、ある種の近縁性があることを示唆している」と述べています。

原子核モデルを考案したかの有名な教科書にも出てくるニールス・ボーアは、「原子物理学と人間の認識」という論文の中で、「われわれは仏陀や老子がすでに直面した認識論的問題に向かうべきである」と書いている。当時の湯川秀樹や朝永振一郎のことを言っているようなのですが、原子核の中の陽子と中性子との強い結びつきに必要な核力の発揮には、中間子という素粒子の存在があると予測したような「場の量子論」を完成させたことを言っているようです。

電気のプラスとマイナス磁気のN極とS極、重力、反重力などとは異なる未知の強い力の源は分かっていないということです。

自然界の本質または宇宙創成の本質を捉えた優れた東洋の思想・哲学について、もう少し掘り下げてみる必要があります。(続く)

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